野坂中学校地区「おやじの会」代表であり、「青少年多目的広場整備実行委員会」の委員長であった、野村洋一氏(平成19年7月1日に亡くなられた)が「第19回暁烏敏賞」の「青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言」に応募、入選した『野坂中学校区「おやじの会」の活動を通じて観じること』を掲載します。
※暁烏敏賞についてはこちら

野坂中学校区「おやじの会」の活動を通じて観じること

野村 洋一


私は現在、広島県廿日市市立野坂中学校区「おやじの会」の代表を務めております。
 私が、青少年の健全育成に関わり始めたのは、平成八年に長男が学校で集団暴行に会うという事件からです。それは、中学校で服装検査があるということで、制服にボタンがついていない生徒数名が私の長男に「お前はボタンが全部ついているから一つくれ」と迫り、長男はそれを断ったため、放課後複数の生徒から三十数発殴られけがを負うという事件でした。このような状況で驚いたのは、事件後の先生と加害生徒の保護者の対応でした。事件発生から六時間が経過して、先生お二人が長男を家まで送ってこられました。そして、第一声が「私は担任ではありません・・・」、もう一人の先生は、「私は保健室の者です」という内容でした。子どもの顔を見ると唇が切れ出血していました。「先生になんで病院に連れていかなかったのですか」と尋ねると、先生は「お宅のお子さんが病院に行かなくていいと言ったからです」と言われました。当時広島では、PTAが異常なまでに学校を攻撃するという状況がありましたが、それにしてもおかしい対応だと感じ、怒りが込みあげてきました。
 その夜、加害生徒と保護者が家に来られました。まず最初に加害生徒に理由を聞きましたが、加害生徒達に悪いことをしたという意識が見られず、まるで町のチンピラのような態度でした。私はその子達を大声で叱りつけました。続いて保護者のいる部屋に行くと保護者からいきなり「ありがとうございました」という言葉が帰ってきました。これには唖然といたしました。ふつう謝罪の言葉が最初に出てくるものと思っておりましたのでいささか戸惑いました。謝罪でなく感謝の言葉でした。今の子ども達の状況、また子ども達を取り巻く状態は、私達の子どもの時とは大きく違っていることを、痛切に思い知らされました。
 今思えば随分無知で恥ずかしいのですが、それまでの私は子育ては母親の仕事であると勝手に思いこんでおりましたので、これは何とかしないと大変だという思いが日増しに強くなりました。
 その時から積極的に学校に関わるようになりました。関わっていくうちに、PTAの役員の方より来年度のPTA会長を受けてくださいとのお話が舞い込んで来ました。最初はお受けするつもりでおりましたが、病のため断念せざるを得ませんでした。その年の年末に、肝臓癌であることが解り、翌平成九年一月の正月明けに入院し、末期癌で余命三から五ヶ月であることを知らされました。私が初めて人間らしいことをしようとした矢先でしたから、余計に不甲斐ない思いにさいなまれました。しかし、この経験は私にとって大きな人生の転換期となりました。私がいた病棟は癌の方達が殆どで、夜消灯時間になるとあちこちからうめき声が聞こえてきました。ある人は、寝言で「野村さん助けて」と言っておられました。その方も今は会うことは叶いません。皆、死にたくないと恐怖感や苦痛と闘っておられました。私は三ヶ月の入院で退院することとなりました。その時は、てっきり病気が良くなって退院したと思っておりました。せっかく命を長らえることができたのだから、残りの人生は青少年に関わることを私の人生の目的として生きていこうと決意いたしました。それからは治療を続けながら、積極的に子ども達と関わっていきました。後に解ったのですが私の退院は、「このまま入院していても、もう打つ手がなく、余命も後一ヶ月程度だろう。最後を窮屈な病院ではなく、自宅で迎えさせてあげよう」との医師のご配慮だったようです。しかし、人生の目的を得た私は日増しに元気になり、六ヶ月後にはガン細胞が消え本当に元気になりました。ただし完治ではなく、今でも一年から一年半に一度再発することを繰り返しています。
 そうした中で、平成十年に暴走族の中学生と関わり、脱会を勧めておりました。ここではK君と呼びますが、K君はいじめに遭っている時に、暴走族の総長に助けられ、それ以後その人に憧れて、暴走族に加入したようです。回数を重ねて話していくうちにK君から「あの総長は好きだけど、他の人は意地が悪くて嫌いだ」とか「集会の度にお金がいるのはしんどい」と話してくれるようになりました。十月末の金曜日の夜、私と私の活動を応援してくれている後輩達とで、K君と話している時、彼は暴走族の脱会を決意してくれました。私達は跳びあがって喜びました。翌日、K君は担任の先生に電話し、暴走族を辞めて月曜日から学校に行くことを伝えました。そして、その日の夜、仲間に辞める挨拶に行くと言って出掛けました。翌早朝、最後の暴走で、警察から追跡され、広島市内の太田川に架かる己斐橋でバイクがエンストし、橋の両岸をパトカーで封鎖され退路を失った彼と同乗の少年は、太田川に飛び込みました。同乗の少年は泳ぎが得意でなく、大きな水しぶきですぐに警察のサーチライトに捕捉され無事保護されました。しかしK君の姿は見えず、明るくなってから警察の懸命な捜索が開始されました。また無事逃げ切ってどこかに隠れているかもしれないと、警察の皆さん、暴走族の仲間達が夜も満足に寝ずに探しました。私もK君が無事に岸に泳ぎ着いて、あまりの大騒ぎにびっくりし怖くなってどこかに隠れているのではと思いあちこちを探し回りました。ある駅で暴走族がたむろしていたので何か知っていないか聞くことにし、近づくと「おっちゃん警察か」と聞いてきました。違うというと、「おっちゃんら、わしらが話しとるだけでもなんか言うけど、テレビで汚職した議員が捕まって、議員を辞めても、すぐ禊ぎは済んだと言って出てくるじゃないか。へんな時代にしたのはおっちゃんらじゃないか。わしらだけが何で文句を言われんといけんのか。」と言われました。私は返す言葉がなく、「だからおっちゃんらががんばって動いているんだ。」と言うのが精一杯でした。そしてK君がどこかに隠れているとか何でもいいから教えてくれるように頼み、その場を去りました。それから、太田川の河川敷でK君のはいていたズボンが発見されました。皆はそれを見て、きっとK君は泳ぎ切って、陸にあがり無事でどこかに隠れているそう願いました。しかし残念なことに事件の五日後水死体として発見されました。私たちの説得がもう一日早ければこのようなことになっていないのではないかと、悔やまれてしかたありませんでした。また私達の力のなさを思い知らされました。遺体確認のため、K君の母親とともに中央警察署に行き、霊安室で彼と再会いたしました。寒い時期であったため、殆ど腐敗はなくきれいな体であったことがせめてもの慰めでした。遅れて到着されたお父さんはK君を見るなり抱きしめながら「寒かったね・・、寒かったね・・」と何度も繰り返し、ご自分の着ていたジャンバーを彼に掛けていました。私は何と声を掛けて良いのか解らず、ただ見ているしかありませんでした。
 通夜が行われた深夜、K君の友人や暴走族の仲間達が大勢お別れに来ました。葬儀場の方からは、腐敗臭がきついので、棺は開けない方が良いですよと言われておりましたが、ご両親と相談のうえ、棺を開けて少年達に直にK君の顔を見せました。ご両親とともに、少年達に「こんな姿になりたくなかったら、すぐに暴走族を辞めなさい。」と必死で訴えました。彼は子ども達の間では優しくいい人と人気があったようで、翌日の葬儀には、五百人近い子ども達がお別れに来てくれました。そんな中で窓に黒いフイルムを貼った高級車が葬儀場入り口に横付けしました。暴走族の少年達が車に駆け寄り整列して出迎えておりました。さながらヤクザ映画で見られる、親分を迎える子分達といった様子でした。この様子を見ながら、私が入院中に見てきた、生きたくても生きられない人たちを思い出しました。何で将来ある中学生がこのような形で命を失われなければならないのか、なんとも無念な思いに駆られました。
 一部の大人達がお金目的で、子ども達を煽り資金源にしている。このようなことが私達の身近な所で起きているとは思いもしませんでした。大人でさえヤクザは怖いものです。子ども達にとってどれだけ怖い存在か想像するまでもありません。私達が本気で子どもを守らなければ、子ども達はたやすく餌食になる。そう思うと益々子ども達が哀れに思えました。それからは今まで以上に暴走族との関わりを深めて参りました。
 そうしているうちに、以前お話のあったPTA会長のお話が再び舞い込んで参りました。私はお受けすることに決め、平成十一年にPTA会長となりました。最初は何をして良いのか解らず右往左往しておりました。さぞ当時の役員さん達にはご迷惑をお掛けしたことと思います。当時学校はとても荒れた状態でした。生徒の中には、髪は金髪やモヒカン刈り、ピアス、ネックレス、ブレスレット着用で学校内で携帯電話が鳴り響くといった状態でした。建物もトイレのドアは一枚もなく天井は穴だらけといった状態でした。学校の年間の修理予算は一学期で使ってしまい、何も修理ができない状態でした。現役の暴走族も十数名いたように思います。
 保護者にも様々な方がおられました。会長になって最初の役員決めの時は、話し合いに出て来られる保護者は半分にも満ちません。受けていただける人がなくしかたなしにクジ引きで決めるといった状態でした。例をあげればきりがありませんが二~三紹介いたします。役員にクジであたった保護者からは「何で私がしないといけないのか。」といった抗議が入りました。また、学校に化粧をして登校してきた女子生徒を先生が校門指導で一旦家に帰し、保護者と放課後来るように指導されました。夕方保護者が学校に来られ言われたことは「生徒手帳のどこにも化粧をして登校してはいけないと書いてないのに子どもを学校に入れないのはおかしいのではないか。」といったものでした。また、別の例では、登校中、学校前の自動販売機でジュースを買い登校しようとした生徒に先生が校門で学校に持ち込んではいけないことを説明し、下校時まで預かり下校時に本人に返却しました。学校から帰った生徒が保護者に言ったのでしょう。早速保護者から学校に抗議の電話がありました。内容は「うちの子どもが自分のお金でジュースを買って何が悪い。誰にも迷惑を掛けていないではないか。」といったものでした。何から手をつけて良いのか解りませんでしたが、まずトイレのドアを修理することから始めました。予算がありませんので校長先生がポケットマネーで材料を買い、私が知り合いの大工さんや保護者の方に声を掛けて、こつこつ修理していきました。
 次にPTAの取り組みとして次の重点三項目を決めました。
 大人への取り組み「重点三項目」

  • 一、親と学校の責任分担(親の責任に対する意識改革の啓発。)
    •   親の責任(躾や基本的な生活習慣を身につけさせる。)
    •   学校の責任(勉強と共同生活のルールを教える。)
  • 二、地域の意識改革の啓発(地域が人を作る。)
  • 三、学校での問題点をPTAや地域に知ってもらう。(情報を交流しあう。)

 この重点三項目を先生達とも何度も話し合い、お互いの理解を深めて参りました。特に、保護者からの抗議やクレームの殆どが学校の責任ではなく、家庭の責任に起因するものでしたから、学校に保護者を呼んで行われる指導には許される範囲同席し、保護者の説得にあたりました。こうして少しずつですがクレームの件数も減ってきました。
 しかし、学校内での問題は依然として残っていました。暴走族に入っている生徒が、ある日手首を切って自殺未遂をはかりました。保護者から電話をもらいすぐに駆けつけました。幸い傷が浅く大事には至りませんでした。生徒が落ち着いてから話を聞くと、暴走族の集会に持っていくお金が工面できず、死ぬしかないと思ったようです。その生徒を説得し暴走族を脱会させましたが、報復を恐れ家を一歩も出られない状態になりました。警察や先生と相談し先生が登下校を車で送迎し、私たちと警察が家をパトロールすることで何とか無事脱会に成功しました。
 翌年の平成十二年の初めに学校内で、暴力事件が発生しました。地元テレビに集団暴行事件として報道されましたが、調査の結果一対一の喧嘩で、複数の生徒がそれを見ていたようです。
 このような事件をふまえ、PTAの重点三項目に新たに生徒への取り組みとして、次の「重点三項目」を追加しました。
生徒への取り組み「重点三項目」

  • 一、夢を持つことができる生徒を育てる。
  • 二、暴力を絶対にしない・させない・許さない。
  • 三、「暴力やいじめの傍観者は悪である」を啓発する。

 学校は、暴力やいじめについて徹底的に指導を始めました。また、生徒達の思考力を高めるために読書運動を始めました。授業が始まる前の十分をあて朝読書を始めました。続けていくうちに生徒達が落ち着いて授業を受けられるようになってきました。先生より本が足らないことを聞き、保護者に呼びかけ家庭に眠っている本を寄付していただきました。さらに、PTAバザーで得た収益金三十万円を本代として学校に寄贈いたしました。生徒達に本物に触れて欲しいと、宇宙開発事業団より職員を派遣していただき、子ども達と直接交流していただきました。このような努力を重ねていくうちに、全体的には落ち着きを取り戻してきました。しかし取り組みをしていく中で、父親の姿があまりにも見えてこず、母親達がパニックに陥っている状況が良く解るようになりました。校長先生や生徒指導の先生、PTAの役員さん達と話し合い、お父さん達を学校に一人でも多く関わっていただくために「おやじの会」を作ることにしました。早速会員を募集するため会員募集のチラシを作りました。設立趣旨は次のとおりです。
「急激な社会構造の変化に伴い、その対応に子ども達や母親は悲鳴をあげています。現在、学校や家庭における教育の主体者は、先生や母親が中心となっている状況が多く見受けられます。ユダヤの諺に、(真剣な一人の母親は百人の教師に勝る)とあります。子ども達に対する影響力は、母親には到底及ばないかも知れません。しかし、今こそ「おやじ」の出番ではないでしょうか。残念ながら私の薄学では、具体的に何をどうすれば良いのか解りません。しかし、「おやじ」でなくてはできないことが必ずあると思います。皆さんと共に探していけたらと思います。」この内容で募集を開始いたしました。地域にもチラシを配りましたが、だいたいチラシ千枚にたいし一人の応募者といった状態でした。
 会の名称も野坂中学校区「おやじの会」と決めました。これは、当時廿日市市には「おやじの会」は他にありませんでしたので、廿日市「おやじの会」でも良かったのですが、草取りや、修理等について一つの中学校区が限界ではないかと言うこと、また活動規模として中学校区程度が一番効率が良いのではとの意見で、野坂中学校区「おやじの会」と決定いたしました。日本全国に「おやじの会」の活動が広がり、大人達、特に父親がもっと子ども達に関わってくれることを願っております。
 まず、学校の状態を見ていただくために学校南側斜面の草取り作業から始めることにしました。急な呼びかけにも関わらず、三十八名の方が参加していただきました。草取りを終えてみると、タバコの吸い殻や空き缶等がたくさん見つかり、お父さん達も驚かれた様子でした。
 次に、生徒達の暴走族からの脱会を進めるために、学校、警察、暴走族に加入している生徒の保護者、おやじの会で連絡会議を持つようにしました。これによって保護者がご自分のお子さんに対する理解を深めることに効果があったように思います。中にはお子さんが暴走族に入っていることを知らない保護者もおられました。これをきっかけとして、保護者との徹底した話し合いを始めました。最初は問題が家庭にあることをなかなか認めていただけず、何度も口論となりましたが、次第に理解いただけるようになりました。私は殆ど毎日夜のパトロールに出掛け、たむろしている暴走族と話を続けました。回数を重ねる毎に子ども達の本音が聞こえてくるようになりました。大半の子ども達が暴走族を脱会したがっているのが解りました。脱会したいけど辞めればリンチに遭うと恐れていました。
 最初はかっこいいとか、バイクが好きで無免許で乗っているのを暴走族に見つかりここで、しばかれるのが良いか黙って入会するかどちらか選べと無理矢理入会させられたり、暴走族に入ったらいじめられない等、様々な理由で入ったようですが、最初はお客さん扱いで楽しいばかりで、特攻服を着て歩くと皆が避けてくれるので強くなった気がした等、夢中になったようです。しかし時間が経つにつれ、集会に会費を持ってこいとか、先輩が車を買うのでカンパしろとか、CDや携帯電話のストラップを売ってこいとか、年末になると門松を売ってこいとか言われ、いつもお金に追われた生活になるようです。最初は親の財布から少しずつ抜いたりし、それがばれると、友人から借り、一通り借り尽くすと、後は窃盗や恐喝をするしかなくなるようです。私は子ども達に勇気を出して脱会しようと訴えました。子ども達の恐怖感を少なくするために、「警察とも連携してリンチに遭わないように守るよ」ということを言い続けるしかありませんでした。これを何度も繰り返しているうちに、追い込まれた子どもから電話があり「おっちゃん助けて」とSOSが来るようになりました。本人と会い事情を聞くと、今月だけで五万円とられて、今度の土曜までにまたお金を持っていかないとやられるとのことでした。本人の了解の元、共に警察に行き、相談し対応することにしました。保護者に連絡し、保護者、警察、学校、おやじの会で連携して守ることにしました。警察は暴走族関係者に手を出すと逮捕すると警告し、少年の家をパトロールしました。学校は登下校時に暴走族が来ないように注意をしました。おやじの会は新聞配達や三交代の仕事の方達の協力を得て、その子の家の周辺を深夜パトロールしたり、暴走族の子ども達に○○君は警察に脱会届を出したので、手を出すと逮捕されるということを触れて回ったりしました。皆の協力の結果、半年経過しても何事もなく無事脱会に成功しました。
 また、この活動を聞き校区外からも相談が来るようになりました。他校女子生徒(T子)の例です。知人から、娘が家に帰って来ず、どうして良いか解らない保護者がいるので相談に乗ってやって欲しいと頼まれました。T子の家を訪ねると、ご両親はパニック状態でした。T子の友人から、T子はヤクザに連れていかれたと聞き、誘拐されたと騒いでおられました。話を聞くうちに不明な点が多いため、まず事実を確認することにしました。ヤクザ関係については、暴走族の子ども達が良く知っているようなので、以前私が暴走族を脱会させた少年に事情を話し協力を頼みました。彼は快く引き受けてくれ、早速暴走族のメンバーを集めてくれました。話を聞いていると「T子は遊び過ぎよ。」とか「これでT子も終わったね。」とか言う言葉が返って来ました。T子がチンピラ風の男の車に乗った所までは何とか解ったのですが、拉致されたのか、ナンパされたのかは解りませんでした。少年達に情報提供をお願いし別れました。数日後、T子とチンピラがコンビニエンスストアに現れ、オーナーに対して「T子に猥褻行為をした。」といって恐喝したようです。この時の様子から、拉致ではなくT子の意志で家出をしたものと思われました。引き続き探していますと、本人から母親に電話があり、彼を紹介するので認めて欲しいとのことで、当日夜、ファミリーレストランで会うことにし、私も同行いたしました。T子の無事を確認し一安心いたしましたが、その日には家に帰ることを拒否し、数日後に家に帰ることを約束するにとどまりました。数日後、T子から家に今日帰るとの電話があり、私も家で待機し、「おやじの会」のメンバーも家の周辺に十名待機し、どのような事態にも対応できるように準備いたしました。T子が彼氏と共に帰ってきました。私が間に入り、T子とご両親で話をして貰いました。最初に、母親が「T子ちゃんのことはお母さん全部解っているからね。」と言ったとたん、T子の様子が一変いたしました「おのれが私の何をしっとんか。」とヤクザ映画で聞くような口調で叫びました。さらに、「おのれが寝取る時に何回金属バットで殴り殺してやろうと思ったかしっとんか。」と追い討ちをかけました。ご両親はこのようなT子を初めて見たようで、返す言葉もありませんでした。それからT子は彼との交際を認めるよう迫りました。しばらく言いたいことを言っていましたが、徐々に落ち着いてきましたので、T子と二人で話をすることにし、長い時間話し込みました。小学校の時学校でいじめられていたこと、その時先生もお母さんも誰も助けてくれなかったこと等、様々なことを話してくれました。その後もT子は、家出を繰り返し半年ほど続きましたが、ようやく現在落ち着きを取り戻してきました。この例でも解るように、親は子どものことをすべて知っているつもりでも、実は見えていないケースが大半です。
 広島県廿日市市には「青少年夢プラン実行委員会」という素晴らしいボランティア団体があります。その中の「ユーアイクラブ」の代表者の方から、子ども達にスケートボードをやらせたいけど場所がないと相談を受け、早速校長先生と相談し、学校の駐車場を解放していただきました。おかげで、第一回の大会を開催することができました。集まった子ども達からユーアイクラブの代表の方にバンクがあったら良いなと相談があったようで、業者に値段を聞くと数十万円掛かるとのことでしたので、私の方に相談が回ってきました。大工のメンバーと相談し、材料だけ買って貰い作成することにしました。子ども達にも作業を一緒にさせようと言うメンバーの意見で、子ども達に作業を手伝わせました。その時、暴走族に入っている少年が、大工の方に、「僕もおっちゃんみたいに大工になれますかね。」と聞きました。大工の方は「やる気があればなれるよ。」と言い、少年が高校を休学していることを聞くと、「高校を卒業してからでも遅くないからがんばって卒業せい。」と言われたらしく、その少年は暴走族を脱会し高校に復学し無事卒業しました。昔から、子どもは親の背中を見て育つという言葉を聞きますが、今回は親ではありませんでしたが、まさにそのとおりだなと強く感じました。
 現在おやじの会は約八十名のメンバーで、おもな活動内容として、学校の草取りや修理、パトロール、校内での生徒指導の補助、暴走族・チーマーに対する声掛け、更生支援、保護者のネットワーク作り就職斡旋、受験時の臨時勉強会、保護者に対する語りかけ、夢プラン実行委員会を支援協力、講演活動等を行っております。会の原則として参加できる時に参加するを原則としています。私個人は殆ど毎日深夜のパトロールを行っております。会のパトロールとしては、毎週土曜日を中心に行い、夏休み期間中、花火大会、祭り等の地域行事の時を重点的に実施しております。
 声掛けをしながら子ども達のやりたいことを聞くようにしています。
 ある日子ども達からサッカーをやりたいという声を聞き、「人数が集まったら応援するよ」と伝えておきました。数週間して子ども達から「人数揃うたけ、応援して。」と電話がありました。早速皆で相談し野坂中学校のグランドを使わしていただけるようお願いしました。快く了解していただき、毎週日曜日午後十二時から五時まで練習を開始しました。多くの子ども達に集まって貰うように、おやじの会の女性メンバーの応援を得て、食事と飲み物はふんだんに用意しております。最初は本当に集まるのか心配でしたが子ども達は約束通り集まってきました。中にはご飯だけ食べて帰る子どももいますが、次の練習日には、その子がサッカーがやりたい子を連れてきたりと見ていて楽しいものです。チームのメンバーを見ると、浪人生、暴走族元総長、現役暴走族、体育の先生を目指す大学生、鉄筋工、高校生、中学生と様々ですが、好きなサッカーという共通の趣味のため妙に調和しており不思議な感じがいたします。現在は、青少年夢プラン実行委員会の「アズリーズ」というクラブに昇格し、活動を継続しております。
 また、中学校で生徒指導の補助として校内で声掛けをしていると、生徒から「おっちゃんサッカーしよるけど他のことはできんの。」と声を掛けられました。「何がしたいん。」と聞くと「僕たちは、ドッジボールがしたいけど、中学生のチームが無いんよ。」と訴えました。「僕たちは小学校の時、全国大会で優勝したんよ。」と誇らしげに語ってくれました。私は、生徒達に人数が集まったら、応援するよと答えました。一週間ほど経って生徒が名簿を持って私の所に来て、「これでチームができる。」と尋ねました。やってみようと答えましたが、私にはドッジボールの知識が全くないため、まず保護者の皆さんに声を掛けました。そして以前、講演会でお会いしたドッジボール協会の方に協力を仰ぐことにしました。たまたま広島県ドッジボール協会の理事長さんのご自宅が近所ということもあり、理事長自らが指導にあたっていただけることになりました。次に練習場は中学校ではラインがないため、小学校を回りどうにか確保しました。サッカーチームの時とは違い、小学校の時に全国大会まで行った子ども達ですから、最初から本格的な練習が予想されるため、ボール等も多数いることが解り、最初から青少年夢プラン実行委員会のクラブとして立ち上げることにいたしました。おもしろいことに、街でたむろしている青年達と話していますと、実は自分達もドッジボールで全国大会で優勝した経験があり、その子達の先輩であることを教えてくれました。その縁で現在練習の手助けをお願いしております。広島県ドッジボール協会さんのご配慮で、九月に広島県で実施される全国大会に推薦枠で中学生チームと一般チームでエントリーすることができました。
 ここまで活動例等を紹介して参りましたが活動を通じて観じたことを思うままに述べてみたいと思います。
「学校とPTAの関係」
 現在、家庭の責任と学校の責任が混同されているように思えます。家庭では躾や基本的な生活習慣を身につけさせる責任があると思います。しかし現実には、家庭での責任を果たさずに、学校に責任転換し学校を攻撃することによって、教育熱心であると錯覚している保護者が多いように感じます。皆さん良く考えてください。たとえば中学生の場合、十二年間家庭で躾をして言うことを聞かない子が、わずか一年や二年、先生が関わって良くなると思いますか。PTAの保護者は教師を信頼し、学校を守る姿勢で取り組むべきだと思います。このまま学校への責任転換を続ければ、教師の教育意欲を削ぎ、教師と生徒の関係を遠ざけていくように思います。生徒の前で平気で先生の悪口を言う保護者がおられますが、親が悪く言う先生の言うことを生徒が聞くのでしょうか、これで確実に一人の教師の指導力を封じたことになります。PTAの重要な役割として、家庭での責任を自覚していただくために、保護者への啓発運動に力を注ぐ必要を感じます。
「地域と子どもの関係」
 地域が子どもを育てます。地域の大人が積極的に子どもに関わり、善いことをした時には誉め、悪いことをした時には叱ります。この当たり前のことが実行されれば、子ども達を育むことができると思います。近所のうるさい「おじさん」や「おばちゃん」また、優しい「おじさん」や「おばちゃん」の出現に期待したいと思います。
「親子関係」
 親が子どもにどう接して良いのか解らず自信を失っています。バブル期にテレビのトレンディー番組で、親子関係をフレンドリーな関係と表現していましたが、これを現実の親子関係と錯覚しているように思います。その為、子どもに媚びる姿勢を多く見受けます。親はあくまでも保護者であります。本当に子どもを保護しようとすれば、フレンドリィーな関係だけでは成立しません。子どもの幸せとは何でしょうか、「ルールを守って自立できる子どもに育てる。」これが、親ができる最高の教育ではないでしょうか。自信を持って「善いことは善い、悪いことは悪い。」と言い切れる自分になれるよう皆で努力いたしましょう。また、個の問題と全体の問題を冷静に判断できる自分に少しでも共に、成長いたしましょう。
「大人全体の責任」
 現在の子ども社会の歪みは、すべて私達大人の責任であり、子ども達は被害者だと思います。大人つまり私達自身が、人間としてあることの意味や意義を見失い、物や金銭、ブランドやステータスといった比較基準に価値判断を委ねる状況に陥っています。また、善に関する言葉が、冷笑的な視線に晒されています。自身に直接影響のない出来事に関しては、悪いことであっても目を背けます。このようなことが続くことが、悪を幾倍にも増長させる原因だと思います。最近大人も子どもも共通して言えることですが、自由とエゴを錯覚しているように感じます。自由とはルールを守ったうえで勝ち取れるものだと思います。それに対してエゴには、他者の存在が不在であるため衝動的な感情で行動する例が多いように思います。
 今こそ学校、行政、警察、保護者、その他すべての大人達が人間性を取り戻す時ではないでしょうか。
 私達、おやじの会の活動はどちらかと言えば、問題行動や事件後の処理的な活動が多いと思います。今の活動形態は、他の人たちが余りされていないため、役割分担として実施しております。子ども達を幸せにしていくためには、幼児期の読み聴かせを行うグループ、躾を教えていくグループ、遊びを教えるグループ、生命の大切さを教えていくグループ等々の力が一連の流れとなって初めて成果が出てくるものだと思います。どうか皆さんご自身でできることを探して、子ども達に関わっていただけますようお願いいたします。

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